私が保育の現場を志した理由は、まず私には5歳下の妹がいてその妹の友人達とも遊ぶ機会が多くその中で自分は年上で世話をすることが好きでした。

そして将来のことを考える高校3年生の頃「自分のこの世話をすることが好きなことはどんな仕事に出来るだろうか?」と考えたところ、その中で保育という一つの道を目指すことを決めたのが私が保育を志した理由です。

進路を決める際には、同級生の中でもそれぞれの価値観が表面に出始めていました。とにかく高収入を目指したい同級生今は、給料が低いけど、手に職が付いて、将来安定することを目指す同級生などなど、同級生と語り合ったのが懐かしいです。

障がいを抱える私の家族環境が背景にあり、同級生と語り合う中で、私はいつしか、『お給料÷時間』ではなく、『社会貢献性÷時間』という考えのもとで、進路を決定していくように自然となっていました。裕福と思ったことは未だありませんが、生き方に後悔はしておりません。

同級生のお互いの考えの違いを尊重し、良いところを参考にさせてもらった、心の友には今でも感謝しております。

極端に贅沢はできないかもしれませんが、価値観の多様性を認めあう共生社会が私の理想の社会像です。

皆さんの理想の阿見町をお聞かせください。